Les Miserables.
ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆したロマン主義フランス文学の大河小説。
wikipediaより。
映画を見ての感想。2012年作成。
1862年、フランス革命は1789年。ナポレオン・ボナパルトによりブルボン朝が倒された後。
舞台は1815年。
ナポレオン1世没後、王政復古の時代。
les miserablesはフランス語で(まぁ、英語でもわかるんだけど)、惨めな人達っていいう意味。
なので、この物語の主人公はヴァルジャンであり、ファンテーヌであり、コゼットであり、マリユスであり、ジャヴェールであり、ガヴロージュである。
まず、大まかな世界の前に僕個人の感想。
「人は変われるのだということ」
むしろ僕個人の固定観念としては、「人は簡単に変わる」。
もちろん、根本のところは変えがたい時もあるところとは事実だけど、人・本・映画・旅・マスメディアなどいろいろなものに人間は簡単に影響を受ける。
ヴァルジャンに対しては、ヴィヤンヴニュ閣下(初めにヴァルジャンを助け、銀の燭台を2つ渡した人)だったのだろう。
彼は、そこから受け取った愛情をその後の人生をかけて人類に捧げることになる。
なので、ヴァルジャンは聖人(saint)とマリユスから言われているし、ジャヴェールもヴァルジャンが聖人と化したがために、自分自身の理念と合わず身投げをしたのだろう。
見ながら、大学1年生の時に留学生を居候させたことを思い出した。
当時の僕は小さな1Rのアパートの住むその辺のどこにでもいるような学生だった。英語に憧れているのも相成って、僕は留学生を家に泊めてあげることを了承した。自分の英語の勉強になるだろうという浅はかな動機が先行し、むしろ、そのためだけに彼を宿泊させたと言っても過言ではない。しかし、彼は中国人でありそして驚くことに日本語が堪能であった。さらに、自分と生活リズムが異なっていた。大学生というものは、夜遅く朝遅い人種だ。全く彼に日本の生活を楽しませることができなかった。僕は当時、そんな彼を鬱陶しいと思っていた。彼と旅行に行くことも土日に遊びに行くこともしなかった。
彼が中国に帰り、その後、留学生の世話ということをしなかったことに悔恨の念をずっと抱いていたから、3年生、4年生、5年生、6年生と留学生が来る時に積極的に関わっていった。トルコからの留学生とは京都や海遊館にも出かけたし、いろいろな同級生を巻き込んで彼女はとても楽しそうだった。その後もドイツ、中国、イギリス、スウェーデンと留学生がたくさん大学にやってきた。その度に僕は、過去の僕の罪を償うように留学生の世話をした。と同時に、僕のように世話をしすぎて疲れてしまわないように後輩を気遣った。個人的には一番の僕の功績は後輩への愛だったと思う。
人は間違える生き物である。
間違えたことを悔いて行動を改めることができるのも人である。
ドラマ、映画では、純粋な人は常に純粋だが、本当か?僕はそうは思わない。
人は多面的で感情的で悪い気持ちも良い気持ちも心の中に棲まわせているのだから。
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