2017年12月24日日曜日

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud & Incredibly Close


Extremely Loud & Incredibly Closeを原作とした映画
ジョナサン・サフラン・フォア. 2011. 
以下ネタバレを含みます。

2000. 9.11の同時多発テロが題材。
同時多発テロにより父を失ったオスカーが、父の遺物を漁っている時に発見した鍵を発見する。手がかりはブラックという名前。
その鍵にの鍵穴を探すために多くのブラック氏と出会い、その過程を通して、成長し、父の死を克服する映画。 
のように見せかけて、基本的には家族愛をテーマにしたヒューマンドラマ。プラスアルファが原作には多い。
途中、オスカーは、声を失った祖父と行動を共にする。
母は、オスカーの行動を知りながら、前もって本人の手助けをする。
母の愛に涙が止まらない。 
今をもっても、できる限り、毎年参拝している地元の神社がある。僕らは中学一年生からその神社に初詣に行っていた。高校受験が終わった時に、お礼参りをしようとその神社に行った。僕らには絵馬を書く習慣がなかった。僕らはみんなが書いた絵馬を面白半分で見ていた。誰が書いているのだろう。どんな高校に書いているのだろう。その中で、僕は、一つ、僕と同じ高校を志望校とした絵馬を見つけた。綺麗な文字。書いたのは、僕の母だった。母は参拝して絵馬を書いたことなんて一言も言っていなかった。 
それに準じたものを感じた。母はやはり偉大だ。

と、良い点はそんな感じ。
11歳という年齢にしては大人びてたかな?むしろ、大人をぶっているのが子供っぽいかな?そんな感じ。
子どもの執念は凄まじいのは常なので、大方の物語でそう、子どもの執念によって物語は物語化される。アスペルガー症候群は確定診断じゃないのでなんとも言えないですね。その設定は必要なさそうと映画では思う。恐らくはアスペルガー症候群だから、一つのことに打ち込めたんだよという理屈を詰めてそうだけど、そして自閉症がないからこそ成立するこの設定。だけど、医師目線では、わざわざその設定をつける必要性はなかったと思う。
で、ガルガンチュアを彷彿とさせる数字至上主義ないしは数字至上主義批判。面白いことに、216人とか数字を意味があるのかないのか羅列しているのに、アスペルガー症候群だから、数字に固執しているんだよという設定なのかと思うけど、それは不要だと思ってしまう。数字を羅列する意味は、数字の羅列には意味がないことを示すために、あえて羅列していると思っていたけど、ラブレーのガルガンチュアみたいに、だけど、「ものすごくうるさくてありえないほど近い」では、むしろ、数字が意味をもっているように見えた。
9.11を忘れないように。9.11で同時多発テロを想起するように。数字に意味を持たせた?
書きながら、それでも、逆ではないかなと思ってしまう。9.11のみで想起せずに、常に忘れないでいようということか。
映画の中の英語はかなり簡単な部類だったので、英語の勉強にはすごく役立ちそうです。原作もとても平易な英語で書かれています。

世界文学大図鑑にも掲載されてた事が僕が見ようと思ったきっかけの理由の一つ。
まぁ、最近読んだナボコフの文学講義のせいで、背景を作品に持ち込むな論を現在、展開してるので、純粋に9.11を無視するとどうなんだろう。つまり、未来永劫にはどうなんだろうと思った。

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