2018年1月10日水曜日

ロリータ


Lolita 1955, 
監督 Stanley Kubrick
脚本 ウラジーミル・ナボコフ

ご存知、ロリコンの語源となった小説の映画版
僕がこの作品を知るきっかけとなったのは西加奈子の作品i[アイ]を読んだからだ。
「テヘランでロリータを読む」がきっかけ。
ロシア文学というと長い、だるいが僕のイメージ。ごめんなさい。これはトルストイとかの影響だと思うけれど。
一応ナボコフはロシア人で、ロシア文学者だけど、ロリータはアメリカ文学の古典として残されている。
ハンバード・ハンバードは自分のこともハンバード・ハンバードと第三人称で話す。
ロリータことドロイズ・ヘイズに恋をし、映画中では性的な描写は皆無なのは時代背景によるのだと言う。
小説だと、ロリータとハンバードの性的描写もあるらしい。映画ではそこが見受けられないので、性的倒錯者の愛が少し薄らいでいる。しかも映画でのヒロインSue Lyonが綺麗すぎてもうすでに少女でない。当時彼女は15歳(12歳と書いているところもある。元文献を確認したい)。しかもアメリカ生まれのアメリカ育ちだから、彼女は僕の中で18にも22にも見える。だから、僕にはハンバードが偏屈な異常少女愛者には僕は見えない。単純に彼女への愛情表現の仕方は間違えていると思うけれど。そうすればするほど嫌われるだろうにと単純に思ってしまう。sue lyonは4回も結婚してる。
なぜ、ハンバードはそれほどまでにロリータに固執したのか。

有名な散文を引用しておこう。
ロリータ、我が人生の光、わが腰部の炎、我が罪、我が魂。
ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

Lolita, light of my life, fire in my loins.  My sin, my soul. 
Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo . Lee. Ta.

あまりにロリータと現在のロリコンがかけ離れていると感じた。
ハンバードがペディキュアをするシーンは異常に思えたけども。

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